カワハラのおじさんが、認知症で入院し、娘さんが「文集を作りたい」というハガキをくれたので、思いだしながら、いろいろ書いた。
書きながら、涙が止まらなかった、泣けた。おじさん、いったい何人の自転車を作ったんだろう。岡山の高校の自転車部、大学のサイクリング部、競輪の選手・・・いっぱい通ってたなぁ。
競輪の選手だけは特別で、むずかしいことは一切言わなかったね。日本中に、おじさんのことを覚えてる人がいますよ。

カワハラのおじさんへ
カワハラのおじさんと初めて会ったのはいつのことか、はっきりと覚えてません。でもたぶん1983年くらいのことだったと思います。クライミンの練習に通ってたゲレンデのトレーニングで通ってた王子ケ岳に、トレーニングがてら自転車で通うことを思いつき、誰かにすすめられて、自転車を買いにカワハラに行ったと記憶してます。高校新入生が自転車の組み立てをやってましたね。
聞いてはいたけど、初対面のおじさんの迫力に、2・3歩引いてしまいました。その場の勢いで、中古のプジョーを購入することになり、さっそく整備させられ、振り取とり(振れ取り)のやり方を教わり…っていうか指導され、実地。早口でつっけんどんにしゃべられて、何もわからず、隣の高校生のやることをみよう見まねで、クルクルやってたら、
「何ぅしようるんなら!、あんたほんとに大学を出たんか?」と(^^;。
「ようわからんのですが、もっと丁寧に教えてもらえんですか」と、ムカッとして言ったら、またシャキシャキっとと説明されて、やっぱりぜんぜんわからんかったです。なんとか1週間ほど通って、マイバイクを手に入れ、嬉しくて毎週玉野に通いました。
でも、正月の山行が事故で流れてから、自転車と水泳に力を入れるようになり、新しい自転車が欲しくなって、何度かカワハラに通いました。ビアンキが中学生からの夢だったので、おじさんにいろいろ相談し、ストラーダを取って貰いましたね。「届いたよ」って言われて、箱から出して見たときの嬉しさはまだ覚えてます。おじさん、ありがとう。
バイクを見せびらかすようにジムに通いました。新聞で見た「トライアスロン」に出たいと思うようになり、ジムで知り合ったワカギ君にトライアスロンクラブに誘われました。それが当時結成したての岡山アイアンマントライアスロンクラブ(OITC)でした。カワハラのガラス戸に貼ってあった、あのアイアンマンでした。トライアスロンを始めてからは、ほとんど毎日カハワラに通いましたね。お昼に多賀整骨院に行き、会社に戻る前にカワハラに寄っては、いろいろ怒られて(笑)午後からの仕事に戻る毎日だったです。
衝突でビアンキが壊れ、カワハラに持って行ったときのおじさんの悲しそうな顔・・・。天井にぶら下げてあったフレームに部品を引越し、その自転車が盗難に会い、次はビバロに変えましたが、知り合いから買った部品を持っていったときのおじさんの顔も寂しそうで腹立たしそうで、後ろめたかったです。ごめんなさい、おじさん。でも結局組み立ては手伝ってくれて、それでハワイ・アイアンマンにも出場できました。そのビバロもヒビが入り、おじさんに相談したら
「ちょうどええんがある、これにせい」と言って、RossinのGhibliを出してくれました。そのGhibliが私の最後のトライアスロンバイクです。ウルトラマラソンで世界中に旅するようになって、ギブリは通勤用になってしまい、もうしわけなかったです。宮崎駿監督の映画「紅の豚」に、飛行機工場ピッコロ社が出てきますが、あの社長とカワハラのおじさんがそっくりです。映画を見るたびに思いました。
ランニングで遍路を始めたとき、伴走の妻のために折り畳み自転車を相談したら、
「めいこちゃんには、これじゃ」とダホーンのアルミバイクを出してくれて、二人で振れ取りをさせられましたが、女の子にはなんであんなに優しいの?(^O^)結局、あのダホーンで無事に結願できました。おじさん、ありがとう。
勤務先が倒産し、私は印刷会社取締役に呼ばれ、社長とケンカして、製鉄所や出版社のシステムで働くようになり、だんだんとカワハラに寄れなくなりました。久しぶりに、立ち寄ると、お客さんが減ってなぁ、と長々と話してたよね。「また、来てよ」と言われて、前のように頻繁にいけないのが、申し訳なかったです。おじさん、ごめんね。でも、病院に見舞いには行ったでしょ、お気に入りのめいこちゃんを連れて。
輝さんがなくなり、偶然ある夜、自転車に乗ったおじさんにあったよね、「健康のために、プールに通うとるんじゃ」って元気そうで嬉しかった。癌になった父に代わって農業に県北に通うようになって、何年もまったく会いに行けず、すみません。おじさん、私はほんとに葡萄農家になったんよ。自分の指は、年々、おじさんの指みたいに節が太くなってゆきます。
また、とびきりの笑顔であいたいんだけどね・・・。
なかなか会いに行けなくて、おじさん、ほんとにごめん。
(村松葡萄園、岡山スポーツフォーラム代表)
達也さんが,大会参加などで外国に行ってしまって不在の時,
よく,おしゃべりさせていただきに行きました。
送られてきたメールや写真を見せながら,おじさんと話すことで,
寂しさや不安が,少しずつ薄らいでいきました。
おじさんは,そんな気持ちを察して,
新聞記者時代のことから,いろいろと話してくださいましたね。
写真やメールにいただくコメントも,とても温かかったです。
おじさんの都合など考えずに,勝手にやってくる訪問者を,
おじさんはいつも優しく迎えてくださいました。
おじさんの柔らかい笑顔,宝物です。
(めいこ)
posted by ultramomosan at 10:55|
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