2015年04月09日

葡萄植え付け作業A

朝一の雨で、ミムラ君の朝ラン中止。
実家は降らず、だったので、朝から農作業。
ゲベルツの苗木を予定圃場(中学校下)に植え付け4本。
母の楽しみ、サツマイモの苗場を作る、施肥と耕耘。

雨が続いたためにできなかったゲベルツトラミネールの苗木の植え替え中。
本日4本、あと週末までに3本。

その上、この間刈ったのに、あっという間にくさぼうぼう。
また、草刈りせないけんがね。
「世の中に絶えて草刈りなかりせば農の心は長閑けからまし」
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2015年01月14日

風刺画やヘイトスピーチについて

小さい頃、教えられ学んだことがある。
「人の嫌がることをしてはいけない」ということ。
言論の自由は、人を傷つけることも言えるという自由ではない、という意味だと理解している。お互いに尊重し合おう、ということだと思う。
今、問題となっているヘイトスピーチもそうだが、フランスでの風刺画にも同じ問題点を感じるのは私だけだろうか?
もちろん、暴力が許されるわけではないのは当たり前だ
が、今回のように、言論の自由の名の下に同じことをやり返すのでは、同じ土俵に乗ってしまうことになるし、新たないさかいの連鎖を呼ぶのではないだろうか?

本来、風刺画というのは権力に対するペンによる批判である。似たような価値観を持つ世界では理解されるのであろうが、そうでない場合、どうなのだろう。
自由の根本は他者を尊重することである。異文化の価値観にたいする配慮は、なされてしかるべきだと思うのだけれど。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150114-00050144-yom-int
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2014年11月29日

「世界遺産にされて富士山は泣いている」野口健

「世界遺産にされて富士山は泣いている」野口健著・PHP新書。

以前から気になっていた彼の富士山に対するスタンスを、この本ではっきり知ることができた。有名な三浦氏や山村氏よりも若いが、世界中を歩いてきたからの価値観なのだろう。世界各国の自然と向き合ってきて、こういう見識を持てない人がいるのはなぜなんだろう。

忠告をしてくれる人がいないからか?
忠告を聞く耳ができていないのか?
なぜ最も大切なことは何かということに気づけないか?

いずれにせよ、そんな遠くのことよりも目先の目標を達成することに心を奪われているからに他ならないのだろう。目標達成に驚くほどの集中力をもっているからこそ、様々な目標を達成できるのだろうけど、その過程で気づかず見逃してしまうことが多すぎるのだろう。以前、日本のトレイルランをリードする二氏と話をしていて気づいたことは、「自然を守る」ということに対して、深い見識と洞察力が足りない、ということだった。(うちの一人には、このことについてあれこれ意見交換してたら友人から外されてしまった)
たとえば、美しい自然の中の林や平原に、一本のトレイルがあったとする。その写真を見て、この場所を走りたいと思うか、ここで大会をしたいと思うか、どう思うかは自由である、だが、同時に、手つかずの自然を切り裂いてしまったトレイルを悲しいとか哀れとかいう感情も持ってもらいたいと思う。

まぁそんなことよりも、
自然保護とは、ゴミを捨てないことでもあるし、登山道を守ることも場合によっては自然保護に役立つだろう、でもそれがすべてではない。
最善の自然保護は、守るべき自然には立ち入らないこと、自然環境の悪化を招く生活一切をやめること、だろうと思う。
次善の自然保護は、守るべき自然に立ち入るなら最小の影響しか与えないこと、自然環境の悪化を招くような生活態度を見直すこと、ではないだろうか。

私たちは、この自然を消費するだけであってはならないと思う。登ることで山が崩れるなら登ってはいけない。野口氏のように「自然を守りながらも利用は続けたい」という考え方もあるだろうが、「利用も諦める」覚悟は必要である。富士山五合目の観光施設のように、入山制限で客が減ると生活が成り立たない、という意見もあるだろうが、いわば贅沢な既得権と、人類の将来に向かっての権利をどう比較衡量するか、これは話し合って行かなければならない。登山鉄道の発想、同じである。

最近のトレイルランのプロデュースによくある「ここのロケーションが素晴らしいからここで大会をやりたい、この風景を見てほしい」という発想、それだけでコースを決めないでいただきたい。貴重な固有種があるかもしれない、ルートは本当に最善なルートなのか、安全とロケーションを天秤にかけていないか、既存の利用者に迷惑をかけていないか、など反対意見に真摯に耳を傾け、尊重していただきたい。

常に考えなければならない問題は、
「理想的なのはどうか?」
「本来はどうあるべきなのか?」
「自然保護と自然の享受はどちらが優先するか?」
ということだ。

自然を自分の所有物と考えるかどうか。
自然保護で日本の100年前を行くアメリカ
自然を観光立国の基礎とするスイス
私たちはどちらからも学ぶことはできる。

私は富士山を遠くから見ていれば十分だ。
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2014年06月15日

法事、三回忌と三十三回忌

今日は全国的に父の日。で、私の父の三回忌、祖父の三十三回忌。
ここ数日、母の頭はそのことでいっぱいだったみたい。
父と祖父の蘇東坡を墓まで運びながら、眼下に見えるヘタクソな田植えの済んだ田を見ながら、びっこを引きながら、青空と涼しい風がまぶしく感じた。
廻向文を唱えながら、墓石の日影で涼むアマガエルを見つけた。葡萄畑から着いて来たカエルのような気がした。

昨日の朝に痛めた右ふくらはぎ腓腹筋。今日は少し楽になった。ずっとアイシング。なんとか早く普通に歩けれるようになれば、ストレスも軽くなる。

明日は、2回目のGA処理。それが終ると、一気に楽になる。あと二日、頑張ろう!

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2014年06月01日

亡くなった父の誕生日

今日は、父の85回目の誕生日だった。
一昨年は、病室で若い看護師たちに囲まれて嬉しそうだったな。二週間後に死んでしまうなんて思ってなかった。

早いもので、もうマル2年。
最後に、父が食べたいと言ったのは、寿司だったか母の炊き込みご飯だったか、もう忘れてしまった。

昨日から始めた田植え、今日までで、78アールの水田のうち、70アール以上を植えることができた。
一昨年が102アール、昨年が97アール。昨秋に20アール近くを葡萄畑にしたので、今年はその分収入が減る。
父が、生きてたら何て言うだろうな。

きっと何人も炎天下に手伝いに来てくれてるところなんて、想像もしてなかっただろう。ほんとうにありがたいなぁ、と。

晩ごはんを食べて、ふと見上げると済生会病院の窓が並んでた。
いろいろあったなぁ。

自分が、農業をやるなんて考えてもみなかった。
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2014年05月23日

Wester States, again !

90年代、このトレイルを走り続けた。
http://www.ultrasportslive.tv/official-western-states-endurance-run-course-preview/
カーブの一つ一つを覚えている。忘れられない風景がある。

雪の残る冷気の中のスタート。高鳴る胸を抑えられなかった。最初の登り、どんどん抜かれて行く時の胸のざわつき。でも「ゴールしたとき自分の前にいるのはこの中の一握りなんだから落ち着け」と言い聞かせる。

エミグラントパスで振り返るとタホ湖の向こうに朝日が昇る。
雪でダンカンキャニオンまでエイドのない年もあった。
始めてクルーと会えるロビンソンフラットでは熊にもあった。
ダスティコーナーまでのロードの苦しいこと。ラストチャンスの膝が悲鳴をあげる下り、上がり続ける気温は谷底では40度を超える。
http://www.ultrasportslive.tv/official-western-states-endurance-run-course-preview/
デビルズサムの登り、道端で泣いていたジョーンズさん。
午後二時の焼けつくエイド・ミシガンブラフで食べたアイスクリームのおいしかったこと。ボルカノキャニオンからフォレストヒルへの登りで出会ったシドニーメルボルンの戦友Randi "Rocky" Bromka。


フォレストヒルからアメリカンリバーへの長い下り、毎回予備電池をどこに置くか迷った…カリフォルニアループ。いつもこの下りで胃をやられた。
はじめて見たラッキーチャッキー、まぶしかった。川の両岸からライトで照らされる水の中で支えてくれるボランティア。冷たい雪解け水の渡渉、気持ちよくて川の中で立ったままのランナーもよく見た。
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グリーンゲイトへの登りには必ずスカンクがいた。
ブラウンズバーまでのローリングするトレイルでは鹿の目に何度であったか。
バッファローチップスがまだブラウンズバーを担当してた頃、走ってたどり着くと、赤い悪魔がいたなぁ。
ハイウェイ49からノーハンズブリッジまでの下り、いつもペーサーを置いてけぼりにした。ゴールまでの区間でベスト10に入ってたこともあったな。
ノーハンズブリッジはいつも闇の中、はじめて夜明けに通って橋を見たとき、川の美しさに絶句した。

友人の伴走が許されるロビーポイントからゴールまで。最初のレースではクリスの背中だけを見て爆走し、気が付いたらRDのノーマンさんに助け起こされてた。
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高校の体育館のなが〜いアワード。一人ひとりバックルを貰いに前に進み出る。その時の誇らしさ。

60歳代、もう一度シルバーバックルを目指して走りたい。

Dick Laine, RIP
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2014年05月15日

加齢

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最近、母の思い込みが激しさを増し、たいうか人の言うことを聞かないで拗ねることが多くなった。85才になるからしかたないけど、早よう迎えが来んかなぁ…と言うのを聞くのはつらい。
悪気がないのはわかってても、なんのために自分は頑張ってるんだろう、とガックリくる。
意識不明の戯言も、ボディブローみたいに効いてきて、わかりきってても、落ち込む。子供の頃の悪行は永遠に払拭できない、刷り込みになるんだろうなぁ。

時に、何もかも捨てて逃げ出したくなる。
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2014年05月02日

GW、ひさびさの走り遍路

CA3I02910001.jpg今回は、足摺岬をパスして宇和島から松山まで。
3日間のゆっくり遍路と、久万高原で、忠政くんのトレラン登山イベントに参加。

朝早い列車に乗って、ふと(もう何年こんなことやってるんだろう)と思った。思い起こせば初めての走る旅は1987年のことかな…同じGWに長崎から広島まで のランニングを思い立ち、長崎CTCの林さんに見送っていただき、浦上天主堂をスタートした。
午後から降り出した雨は集中豪雨となり、34号線も長崎本線もストップ。どしゃ降りの雨の中、鳥栖に着いたら旅館は満杯。なんとかものすごいボロ旅館の布団部屋に泊めてもらい、翌日も豪雨の中を小倉まで。3日目の朝、吐き気もありトイレにこもったら、初めて見る真っ黒いウンチ。吐き気はものを食べる度にひどくなり、楠あたりで嘔吐、吐瀉物に血が混じっていて怖くなり、トライアスロン仲間の医師に相談すると、すぐに戻れと言うので、中止して彼の医院へ。休みなのに検査してくれ、胃潰瘍であることがわかった。
「親指くらいの穴が空いとるからしばらくはランニング禁止。それにしても大っきな心臓じゃが、毛だらけじゃろうな」
と言われたのはまだ覚えてる。

あれから27年、走る距離もスピードも、めっきり落ちたが、まだ走れることに感謝、感謝。家族に一番感謝。

特急いしづち103号松山行きの車中から。
それにしても、便利な世の中になったもんだ。
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2014年03月22日

マラニックの準備

マラニックに携わって6年を越えました。
ほんの思いつきで始まったらしい、でもなぜか準備と運営をせざるをえなくなり・・・

もう自分の体がなんとか言うことをきく時間は残り少なくなってきた。
やらなくちゃいけないと思うことは、もう十分にやってきた。
もう使命感などこれくらいにして、やりたいことに専念したい。

もう時間がないよ。
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2014年03月11日

メセタの石積み

スペイン、サンチアゴ・デ・コンポステラの巡礼に行ったことのある日本人は、たぶん誰もが絶句する…そんな風景がある。ブルゴスから始まるメセタ台地。

見渡す限りの麦畑。山はない。ところどころに石の小山があるだけ。
巡礼路と畑の区切りも石積みだ。
メセタは風化台地。何万年もの間に固い地層だけがのこり、あとは風雨で磨かれたように平坦になり、豪雨の跡の川だけが谷を作っている。
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はじめてその台地に上がった時、私も絶句した。見渡す限り、麦畑以外見えない。
ところどころに見える石積みは最初なんだろうと思ったが、頭の中に「石を畑から運び出す農民の姿」が浮かんだ。これは畑にするために運び出した石の山なんだと、気が付いた。

今日、葡萄の植え付けをする圃場の石の運び出しをやりながら、私の両親や祖父、曽祖父母のことを思った。
同じではないか、スペインも日本も。

嬉しいような、悲しいような、不思議な感動が湧いてきた。
もしかしたら、私はスペインで石を運んでいたことがあったのかもしれない。
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posted by ultramomosan at 19:51| Comment(0) | 人間

あれから3年

3年になるんですね、テレビにくぎ付けになったあの日から。
津波にのみこまれてゆく田畑・温室・車。おろおろしていた気がする。
私たちはこの3年間、ずっと応援してきたつもりだけど、いったいどれほどのことができたのだろう。
かける言葉はないけど、やっぱり「がんばって」と、心の中でいつも思ってます。

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新しい圃場

今年から家の前の2反の田を、葡萄の畑に転作することにして、昨年暮れあたりから工事を始めた。
春の風情が漂いだした昨日3月10日から苗の植え付けのための穴を掘った。
難波さんの援助でバックホーで直径2m深さ60cm位の穴を11個。
三つ鍬とスコップで、掘った穴を掃除。石が多いので、ガッツンガッツンと・・・体に響く。雪はガンガン降るし、腕や腰は悲鳴をあげるし・・・参った。

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2014年03月05日

カワハラのおじさん

カワハラのおじさんが、認知症で入院し、娘さんが「文集を作りたい」というハガキをくれたので、思いだしながら、いろいろ書いた。

書きながら、涙が止まらなかった、泣けた。おじさん、いったい何人の自転車を作ったんだろう。岡山の高校の自転車部、大学のサイクリング部、競輪の選手・・・いっぱい通ってたなぁ。
競輪の選手だけは特別で、むずかしいことは一切言わなかったね。日本中に、おじさんのことを覚えてる人がいますよ。

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カワハラのおじさんへ

 カワハラのおじさんと初めて会ったのはいつのことか、はっきりと覚えてません。でもたぶん1983年くらいのことだったと思います。クライミンの練習に通ってたゲレンデのトレーニングで通ってた王子ケ岳に、トレーニングがてら自転車で通うことを思いつき、誰かにすすめられて、自転車を買いにカワハラに行ったと記憶してます。高校新入生が自転車の組み立てをやってましたね。
 聞いてはいたけど、初対面のおじさんの迫力に、2・3歩引いてしまいました。その場の勢いで、中古のプジョーを購入することになり、さっそく整備させられ、振り取とり(振れ取り)のやり方を教わり…っていうか指導され、実地。早口でつっけんどんにしゃべられて、何もわからず、隣の高校生のやることをみよう見まねで、クルクルやってたら、
「何ぅしようるんなら!、あんたほんとに大学を出たんか?」と(^^;。
「ようわからんのですが、もっと丁寧に教えてもらえんですか」と、ムカッとして言ったら、またシャキシャキっとと説明されて、やっぱりぜんぜんわからんかったです。なんとか1週間ほど通って、マイバイクを手に入れ、嬉しくて毎週玉野に通いました。
 でも、正月の山行が事故で流れてから、自転車と水泳に力を入れるようになり、新しい自転車が欲しくなって、何度かカワハラに通いました。ビアンキが中学生からの夢だったので、おじさんにいろいろ相談し、ストラーダを取って貰いましたね。「届いたよ」って言われて、箱から出して見たときの嬉しさはまだ覚えてます。おじさん、ありがとう。
 バイクを見せびらかすようにジムに通いました。新聞で見た「トライアスロン」に出たいと思うようになり、ジムで知り合ったワカギ君にトライアスロンクラブに誘われました。それが当時結成したての岡山アイアンマントライアスロンクラブ(OITC)でした。カワハラのガラス戸に貼ってあった、あのアイアンマンでした。トライアスロンを始めてからは、ほとんど毎日カハワラに通いましたね。お昼に多賀整骨院に行き、会社に戻る前にカワハラに寄っては、いろいろ怒られて(笑)午後からの仕事に戻る毎日だったです。
 衝突でビアンキが壊れ、カワハラに持って行ったときのおじさんの悲しそうな顔・・・。天井にぶら下げてあったフレームに部品を引越し、その自転車が盗難に会い、次はビバロに変えましたが、知り合いから買った部品を持っていったときのおじさんの顔も寂しそうで腹立たしそうで、後ろめたかったです。ごめんなさい、おじさん。でも結局組み立ては手伝ってくれて、それでハワイ・アイアンマンにも出場できました。そのビバロもヒビが入り、おじさんに相談したら
「ちょうどええんがある、これにせい」と言って、RossinのGhibliを出してくれました。そのGhibliが私の最後のトライアスロンバイクです。ウルトラマラソンで世界中に旅するようになって、ギブリは通勤用になってしまい、もうしわけなかったです。宮崎駿監督の映画「紅の豚」に、飛行機工場ピッコロ社が出てきますが、あの社長とカワハラのおじさんがそっくりです。映画を見るたびに思いました。
ランニングで遍路を始めたとき、伴走の妻のために折り畳み自転車を相談したら、
「めいこちゃんには、これじゃ」とダホーンのアルミバイクを出してくれて、二人で振れ取りをさせられましたが、女の子にはなんであんなに優しいの?(^O^)結局、あのダホーンで無事に結願できました。おじさん、ありがとう。

 勤務先が倒産し、私は印刷会社取締役に呼ばれ、社長とケンカして、製鉄所や出版社のシステムで働くようになり、だんだんとカワハラに寄れなくなりました。久しぶりに、立ち寄ると、お客さんが減ってなぁ、と長々と話してたよね。「また、来てよ」と言われて、前のように頻繁にいけないのが、申し訳なかったです。おじさん、ごめんね。でも、病院に見舞いには行ったでしょ、お気に入りのめいこちゃんを連れて。
 輝さんがなくなり、偶然ある夜、自転車に乗ったおじさんにあったよね、「健康のために、プールに通うとるんじゃ」って元気そうで嬉しかった。癌になった父に代わって農業に県北に通うようになって、何年もまったく会いに行けず、すみません。おじさん、私はほんとに葡萄農家になったんよ。自分の指は、年々、おじさんの指みたいに節が太くなってゆきます。

 また、とびきりの笑顔であいたいんだけどね・・・。
 なかなか会いに行けなくて、おじさん、ほんとにごめん。

(村松葡萄園、岡山スポーツフォーラム代表)


達也さんが,大会参加などで外国に行ってしまって不在の時,
よく,おしゃべりさせていただきに行きました。

送られてきたメールや写真を見せながら,おじさんと話すことで,
寂しさや不安が,少しずつ薄らいでいきました。

おじさんは,そんな気持ちを察して,
新聞記者時代のことから,いろいろと話してくださいましたね。
写真やメールにいただくコメントも,とても温かかったです。

おじさんの都合など考えずに,勝手にやってくる訪問者を,
おじさんはいつも優しく迎えてくださいました。

おじさんの柔らかい笑顔,宝物です。
                  (めいこ)

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posted by ultramomosan at 10:55| Comment(0) | 日記

2013年11月13日

宮崎 青島太平洋マラソンに向けて

今朝は、1カ月後に迫った「宮崎 青島太平洋マラソン」に向けての最後のロング走。
40kmを、1キロ5分40秒のペースでやるレースペースでの練習・・・の伴走。
ミムラさんは、なかなかいい仕上がり。日常的に走り出して半年、この春は10kmジョグでも最後は息が上がってるようだったにもかかわらず、今は写真のとおり。
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ここ2年ほどは、週1・2回の軽いジョグ程度だったのが、半年でこれ!はちょっとすごいです。
もう一年たったら、私は伴走できなくなるかな(^O^)

練習の帰りに、盲学校のシバタ先生とばったり遭遇。20年ほど前に、同じ宮崎のマラソンで妻が伴走し、2分だけサブ4にならなかったシバタ先生、盲学校時代はミムラさんの先生でもあって、昨年始め体調を崩して以来ずっとごぶさただったけど、復活されたようすでひと安心。
今朝のミムラさんとの練習を伝えると、「今日の苦しみが免疫になるんだからがんばって!」とアドバイス。

なんか、嬉しい一日だった。

その後、真庭の農業普及指導センターに出向き、所長さんに「ランニングの世界」を渡し、ついでに農業経営改善計画認定申請書を渡してきた。
実家に帰ると、母が「白小豆を量って袋詰めし出荷できるようにしたら、大豆を抜いて乾かす」と待っていた。大豆・黒豆を抜くのは体力がいる・・・腰がうたってしまった。

posted by ultramomosan at 20:20| Comment(0) | ランニング

2013年10月27日

UTMFの環境への影響について

気になっていたUTMF(トレイルラン)の環境への影響をレポートしたブログを見つけた。

http://koyoshina.cocolog-nifty.com/fuji/2013/05/13-042000-8b7f.html?cid=82700637#comments

このブログの作者は、ずっと読ませてもらってた「カリフォルニア針葉樹の森 見て歩る記」の作者と同じかたなのどうか?

今回、成り行き(一度は出て見ておかないと意見を言えないと思って)と、走ってみたい!という勢いでUTMFへの参加を申し込んでしまったが、このようなコース設定をする限り、自分としては走るわけにいかない気がしてきた。

UTMFのサイトには環境問題への取り組みはこう書いてある。

*******************************
本大会の開催決定以来、実行委員会は所轄官庁や多くの自然保護関係者、周辺地域に居住する方々と協議を重ね、また第一回大会では、自然環境への影響についての調査を行うなど、自然保護に関して最大の配慮を行ってきました。
その結果、トレイルへの影響は全体として大きくはないものの、注意の必要な区間や環境条件があることを把握しました。残念ながら、ゴミも一部ですが見られました。豊かな自然を守るとともに、その自然によって多くの人が恩恵を受けることを願う気持ちは、私たちも自然保護関係者も同じです。次回大会では、第一回の結果を踏まえ、より環境に配慮した大会運営を計画しています。
今後、トレイルランニングがアウトドアスポーツのひとつとして広く認知され、継続的に活動が可能になるためには、参加者の皆さんの協力が不可欠です。参加者ひとりひとりが、明日のトレランの命運を担っていることを強く意識し、試走、レー スに臨まれることを期待しています。
なお、本大会のコースづくりと 環境に関する計画については、多くの方のご助言をいただいております。記して感謝いたします。
UTMF実行委員一同
*******************************(以上公式サイトより)

悲しいことだけど、このギャップはどうして起こるんだろう。
見ようと思わなければ見えない。

心不在焉、視而不見、聴而不聞、・・・だ。

この夏あたりから、faebookにかまけてしまい、こちらの更新がおろそかになってしまっていた。
やはり、自分のスタンスを忘れてはいけない。
また、こちらにはっきり残してゆこう。
posted by ultramomosan at 06:14| Comment(0) | ランニング

2013年08月22日

北アルプスでの滑落事故に思う

先日、日本海から北アルプス全山縦走を試みたトレイルランナーが最後の最後で滑落し、なくなったという。
TJARの影響もあるだろうし、山経験ある人しいので思いついたのかもしれない。51歳ならまだやりたい気持のほうが強いのかも。

この夏、白馬〜上高地を25年振りに実行できたのは安保という心強いパートナーがいたからで、ここ数年山でヒヤッっとする事が続き、慎重に考えるようになっている自分だけでは決行しなかったかもしれない。おまけに相棒は仕事柄、安全第一が身に染み付いているから。
たとえば、雪渓の怖さ、急登のガレ場など、自分の注意だけでは防ぎきれない事故に遭う可能性を考えてしまう。誰かが滑ったり落石を落としたりした時の急な反応に自身がなくなりつつある。それは後に残される家族のことを思うからでもある。

ようは、自分の衝動と、自分の体力技術に対する客観的な評価、危険可能性に対する想像力、家族に対する責任感のせめぎあいだと思う。
それらの冷静な比較判断を誤らせるのが、メディアの取り上げ方や周囲の無責任な煽りだったりするのではないか。「すごい!」と賞賛されるのは自尊心をくすぐられるものだ。けれど、そんな時は謙虚に、疲労しきった自分が風雨を前にした時のことを想像してみることが必要な気がする。
自分にとって一番大切なのは家族だろうから。

シアトル行きの待ち時間に。
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2013年08月21日

山を降りて

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17日午後、Lone Pineに到着。今朝のホイットニー山頂は2℃、下は40℃越え。砂漠の中の町なので公共交通機関がない。私営シャトルは週4日、明日バスがないのでヒッチハイクで…

うわっ(^O^)久しぶりのベッド!寝られるかな(^_^;)周りは人間ばかりだし。

18日、朝食食べて、ヒッチハイク成功。リーバイニングへ、バスでヨセミテ経由マーセド経由モデストへの予定。
リーバイニングに着いたら、日に1本のヨセミテ行きYARTSバスに間に合わず。LeeViningからヒッチハイク。デンマークの女性3人組に救われヨセミテ到着。
二時間待ちで、マーセド行きに乗り、二時間半のバス旅。マーセドで列車に乗り、モデストの友人宅に着いたら日が暮れた。

19日。友人の経営するソフト会社でネットチェック中。facebook で応援して下さった皆さま、ありがとうございました。
体重はたった3kg減だった。高野豆腐中心にした食料計画は大成功のようだ。しかして、友人宅ではお決まりの肉責め500g。その後、西瓜のようなメロン、シャーリーンで、お腹いっぱい。

20日。モデストからSan Franciscoの彼の両親に会いに移動。101歳と98歳のご夫婦のお見舞い。列車はズルズル遅れ、結局約1時間遅れ。レースモードになれななぁ。
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11日間の山旅の終わり

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17日下山、ホイットニーポータルにて。予定より早く11日で終了。久しぶりぶりの肉だ!
11日間、シャワーも生野菜も肉もなし。二度、体は洗ったが、着替えはしてないので色が変、ザックは臭いのが自分でわかる(^O^)
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2013年08月04日

John Muir Trail thru-hike 2013

火曜日からJohn Muir Trailの4回目のスルーハイクに出かける。
装備と行程は
JMT2013計画_Southbound.pdf JMT2013計画_Southbound_route.pdf

バスや移動の関係で8月7日ツォルムメドウから入るようになるかもしれないが、アウトは一応8月18日なので、11日間のロングハイクになる。トレイルの大半が最寄りの町から数日の距離にある山中なので、4度目でもやっぱり緊張する。1回目は13年前なので、体力も落ちてるし、年々背負うパックの重量が増えて行くのは、慎重になるからで、これも試行錯誤の賜物。
たぶん行程のほとんどが単独泊になるので、2日目までは体の速度に心がついてこれないだろうから、誰かを見つけて寂しくないようにしたい。できれば3日に一度は1時間くらいのランニング(クロカンハイク)を入れたい。

山を下りたらケニー宅に一泊、20日にサンフランシスコのおじいちゃんを訪ねて、21日にシアトル入り。
22日からカスケードの山に入り、24日〜25日が Cascade Crest 100miler.
http://www.cascadecrest100.com/
27日〜28日に帰国の予定。

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2013年07月27日

後立山連峰縦走の試み

1988年8月の夏休暇。白馬から三俣蓮華・双六(槍ピストン)を経て新穂高温泉までを、2泊3日で縦走した。32歳、はじめての登山マラソン・・・トレイルランではない。
8月11日、大阪駅から急行「ちくま」で白馬に向かった。未明(?)の白馬駅に降り立ち、走り出した。猿倉から雪渓を登り、初日は冷池山荘まで。快晴の稜線を歩き走りながら、夕方たどり着いた。不帰・八峰などの難所をこの時間で駆け抜けられたのは、岩をやめてまだ日が浅かったからだろうし、何より運よく好天に恵まれだけだ。
8月12日、針ノ木から黒部へ降り、船窪から不動・烏帽子へ(烏帽子小屋泊)。
8月13日、烏帽子から三俣蓮華・双六へ、槍手前で引き返し小池新道から新穂高温泉へ降り、夜、岐阜に着いた。

このルートを辿ってみたくなり、今回、パワーあふれる若手・Aboくんに助っ人を頼み、今度はテント泊でチャレンジした。朝4:50猿倉を出コースタイムの1/2以下で白馬山荘まで登ったが・・・荷物の重さは何ともし難く、初日は14時の五竜小屋で天気を見てテントになった(たぶん若くて小屋泊だったら行ったろう)。後は、ずるずると予定が後ろへすべり、針ノ木着が17:00、日曜日朝までに帰宅できないと分かった。翌朝、一番で針ノ木雪渓を単独で下った。

26年前、なぜできたんだろう?
今朝、針ノ木雪渓ですれ違ったトレランの若者を見て得心した。彼はまさに今はやりのスタイル、軽アイゼンもストックも持たずに上がってきた。(もしバランスを崩したら、もし上の誰かが落石を起こしたら、もし雪渓が凍ってたら・・・)そんなことは考えもせず登ってきた・・・彼の経験は知らないけれど、登山経験があれば早朝の雪渓をランニングシューズで登る、なんという行為はかんがえないだろう。
私は幸い登山も登攀もやっておりある程度の準備はできていたが、それでも事故がなかったのは、天候が良かった、運が良かったのだ。それでも私はアイゼンくらいは付けていたけれど。

ただ、この山行でストックの使い方を思い出し、岩のトレイルのあるき方を思い出せたのは、嬉しかった。なにより、歩いてる間だけは、30代の若者に遅れることがなかったのが、ひそかに嬉しい(^-^)。それに、そういう友人がいることがほんとに一番嬉しい。Abo、ありがとう。

しかし、最近、昔の練習を辿ってみては挫折することの連続で、ほんとうに年齢を感じるなぁ。
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posted by ultramomosan at 23:53| Comment(0) | ランニング