2014年11月29日

「世界遺産にされて富士山は泣いている」野口健

「世界遺産にされて富士山は泣いている」野口健著・PHP新書。

以前から気になっていた彼の富士山に対するスタンスを、この本ではっきり知ることができた。有名な三浦氏や山村氏よりも若いが、世界中を歩いてきたからの価値観なのだろう。世界各国の自然と向き合ってきて、こういう見識を持てない人がいるのはなぜなんだろう。

忠告をしてくれる人がいないからか?
忠告を聞く耳ができていないのか?
なぜ最も大切なことは何かということに気づけないか?

いずれにせよ、そんな遠くのことよりも目先の目標を達成することに心を奪われているからに他ならないのだろう。目標達成に驚くほどの集中力をもっているからこそ、様々な目標を達成できるのだろうけど、その過程で気づかず見逃してしまうことが多すぎるのだろう。以前、日本のトレイルランをリードする二氏と話をしていて気づいたことは、「自然を守る」ということに対して、深い見識と洞察力が足りない、ということだった。(うちの一人には、このことについてあれこれ意見交換してたら友人から外されてしまった)
たとえば、美しい自然の中の林や平原に、一本のトレイルがあったとする。その写真を見て、この場所を走りたいと思うか、ここで大会をしたいと思うか、どう思うかは自由である、だが、同時に、手つかずの自然を切り裂いてしまったトレイルを悲しいとか哀れとかいう感情も持ってもらいたいと思う。

まぁそんなことよりも、
自然保護とは、ゴミを捨てないことでもあるし、登山道を守ることも場合によっては自然保護に役立つだろう、でもそれがすべてではない。
最善の自然保護は、守るべき自然には立ち入らないこと、自然環境の悪化を招く生活一切をやめること、だろうと思う。
次善の自然保護は、守るべき自然に立ち入るなら最小の影響しか与えないこと、自然環境の悪化を招くような生活態度を見直すこと、ではないだろうか。

私たちは、この自然を消費するだけであってはならないと思う。登ることで山が崩れるなら登ってはいけない。野口氏のように「自然を守りながらも利用は続けたい」という考え方もあるだろうが、「利用も諦める」覚悟は必要である。富士山五合目の観光施設のように、入山制限で客が減ると生活が成り立たない、という意見もあるだろうが、いわば贅沢な既得権と、人類の将来に向かっての権利をどう比較衡量するか、これは話し合って行かなければならない。登山鉄道の発想、同じである。

最近のトレイルランのプロデュースによくある「ここのロケーションが素晴らしいからここで大会をやりたい、この風景を見てほしい」という発想、それだけでコースを決めないでいただきたい。貴重な固有種があるかもしれない、ルートは本当に最善なルートなのか、安全とロケーションを天秤にかけていないか、既存の利用者に迷惑をかけていないか、など反対意見に真摯に耳を傾け、尊重していただきたい。

常に考えなければならない問題は、
「理想的なのはどうか?」
「本来はどうあるべきなのか?」
「自然保護と自然の享受はどちらが優先するか?」
ということだ。

自然を自分の所有物と考えるかどうか。
自然保護で日本の100年前を行くアメリカ
自然を観光立国の基礎とするスイス
私たちはどちらからも学ぶことはできる。

私は富士山を遠くから見ていれば十分だ。
hujisan.jpg
posted by ultramomosan at 10:59| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: