2014年05月15日

加齢

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最近、母の思い込みが激しさを増し、たいうか人の言うことを聞かないで拗ねることが多くなった。85才になるからしかたないけど、早よう迎えが来んかなぁ…と言うのを聞くのはつらい。
悪気がないのはわかってても、なんのために自分は頑張ってるんだろう、とガックリくる。
意識不明の戯言も、ボディブローみたいに効いてきて、わかりきってても、落ち込む。子供の頃の悪行は永遠に払拭できない、刷り込みになるんだろうなぁ。

時に、何もかも捨てて逃げ出したくなる。
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2014年05月02日

GW、ひさびさの走り遍路

CA3I02910001.jpg今回は、足摺岬をパスして宇和島から松山まで。
3日間のゆっくり遍路と、久万高原で、忠政くんのトレラン登山イベントに参加。

朝早い列車に乗って、ふと(もう何年こんなことやってるんだろう)と思った。思い起こせば初めての走る旅は1987年のことかな…同じGWに長崎から広島まで のランニングを思い立ち、長崎CTCの林さんに見送っていただき、浦上天主堂をスタートした。
午後から降り出した雨は集中豪雨となり、34号線も長崎本線もストップ。どしゃ降りの雨の中、鳥栖に着いたら旅館は満杯。なんとかものすごいボロ旅館の布団部屋に泊めてもらい、翌日も豪雨の中を小倉まで。3日目の朝、吐き気もありトイレにこもったら、初めて見る真っ黒いウンチ。吐き気はものを食べる度にひどくなり、楠あたりで嘔吐、吐瀉物に血が混じっていて怖くなり、トライアスロン仲間の医師に相談すると、すぐに戻れと言うので、中止して彼の医院へ。休みなのに検査してくれ、胃潰瘍であることがわかった。
「親指くらいの穴が空いとるからしばらくはランニング禁止。それにしても大っきな心臓じゃが、毛だらけじゃろうな」
と言われたのはまだ覚えてる。

あれから27年、走る距離もスピードも、めっきり落ちたが、まだ走れることに感謝、感謝。家族に一番感謝。

特急いしづち103号松山行きの車中から。
それにしても、便利な世の中になったもんだ。
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2014年03月22日

マラニックの準備

マラニックに携わって6年を越えました。
ほんの思いつきで始まったらしい、でもなぜか準備と運営をせざるをえなくなり・・・

もう自分の体がなんとか言うことをきく時間は残り少なくなってきた。
やらなくちゃいけないと思うことは、もう十分にやってきた。
もう使命感などこれくらいにして、やりたいことに専念したい。

もう時間がないよ。
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2014年03月11日

あれから3年

3年になるんですね、テレビにくぎ付けになったあの日から。
津波にのみこまれてゆく田畑・温室・車。おろおろしていた気がする。
私たちはこの3年間、ずっと応援してきたつもりだけど、いったいどれほどのことができたのだろう。
かける言葉はないけど、やっぱり「がんばって」と、心の中でいつも思ってます。

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2014年03月05日

カワハラのおじさん

カワハラのおじさんが、認知症で入院し、娘さんが「文集を作りたい」というハガキをくれたので、思いだしながら、いろいろ書いた。

書きながら、涙が止まらなかった、泣けた。おじさん、いったい何人の自転車を作ったんだろう。岡山の高校の自転車部、大学のサイクリング部、競輪の選手・・・いっぱい通ってたなぁ。
競輪の選手だけは特別で、むずかしいことは一切言わなかったね。日本中に、おじさんのことを覚えてる人がいますよ。

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カワハラのおじさんへ

 カワハラのおじさんと初めて会ったのはいつのことか、はっきりと覚えてません。でもたぶん1983年くらいのことだったと思います。クライミンの練習に通ってたゲレンデのトレーニングで通ってた王子ケ岳に、トレーニングがてら自転車で通うことを思いつき、誰かにすすめられて、自転車を買いにカワハラに行ったと記憶してます。高校新入生が自転車の組み立てをやってましたね。
 聞いてはいたけど、初対面のおじさんの迫力に、2・3歩引いてしまいました。その場の勢いで、中古のプジョーを購入することになり、さっそく整備させられ、振り取とり(振れ取り)のやり方を教わり…っていうか指導され、実地。早口でつっけんどんにしゃべられて、何もわからず、隣の高校生のやることをみよう見まねで、クルクルやってたら、
「何ぅしようるんなら!、あんたほんとに大学を出たんか?」と(^^;。
「ようわからんのですが、もっと丁寧に教えてもらえんですか」と、ムカッとして言ったら、またシャキシャキっとと説明されて、やっぱりぜんぜんわからんかったです。なんとか1週間ほど通って、マイバイクを手に入れ、嬉しくて毎週玉野に通いました。
 でも、正月の山行が事故で流れてから、自転車と水泳に力を入れるようになり、新しい自転車が欲しくなって、何度かカワハラに通いました。ビアンキが中学生からの夢だったので、おじさんにいろいろ相談し、ストラーダを取って貰いましたね。「届いたよ」って言われて、箱から出して見たときの嬉しさはまだ覚えてます。おじさん、ありがとう。
 バイクを見せびらかすようにジムに通いました。新聞で見た「トライアスロン」に出たいと思うようになり、ジムで知り合ったワカギ君にトライアスロンクラブに誘われました。それが当時結成したての岡山アイアンマントライアスロンクラブ(OITC)でした。カワハラのガラス戸に貼ってあった、あのアイアンマンでした。トライアスロンを始めてからは、ほとんど毎日カハワラに通いましたね。お昼に多賀整骨院に行き、会社に戻る前にカワハラに寄っては、いろいろ怒られて(笑)午後からの仕事に戻る毎日だったです。
 衝突でビアンキが壊れ、カワハラに持って行ったときのおじさんの悲しそうな顔・・・。天井にぶら下げてあったフレームに部品を引越し、その自転車が盗難に会い、次はビバロに変えましたが、知り合いから買った部品を持っていったときのおじさんの顔も寂しそうで腹立たしそうで、後ろめたかったです。ごめんなさい、おじさん。でも結局組み立ては手伝ってくれて、それでハワイ・アイアンマンにも出場できました。そのビバロもヒビが入り、おじさんに相談したら
「ちょうどええんがある、これにせい」と言って、RossinのGhibliを出してくれました。そのGhibliが私の最後のトライアスロンバイクです。ウルトラマラソンで世界中に旅するようになって、ギブリは通勤用になってしまい、もうしわけなかったです。宮崎駿監督の映画「紅の豚」に、飛行機工場ピッコロ社が出てきますが、あの社長とカワハラのおじさんがそっくりです。映画を見るたびに思いました。
ランニングで遍路を始めたとき、伴走の妻のために折り畳み自転車を相談したら、
「めいこちゃんには、これじゃ」とダホーンのアルミバイクを出してくれて、二人で振れ取りをさせられましたが、女の子にはなんであんなに優しいの?(^O^)結局、あのダホーンで無事に結願できました。おじさん、ありがとう。

 勤務先が倒産し、私は印刷会社取締役に呼ばれ、社長とケンカして、製鉄所や出版社のシステムで働くようになり、だんだんとカワハラに寄れなくなりました。久しぶりに、立ち寄ると、お客さんが減ってなぁ、と長々と話してたよね。「また、来てよ」と言われて、前のように頻繁にいけないのが、申し訳なかったです。おじさん、ごめんね。でも、病院に見舞いには行ったでしょ、お気に入りのめいこちゃんを連れて。
 輝さんがなくなり、偶然ある夜、自転車に乗ったおじさんにあったよね、「健康のために、プールに通うとるんじゃ」って元気そうで嬉しかった。癌になった父に代わって農業に県北に通うようになって、何年もまったく会いに行けず、すみません。おじさん、私はほんとに葡萄農家になったんよ。自分の指は、年々、おじさんの指みたいに節が太くなってゆきます。

 また、とびきりの笑顔であいたいんだけどね・・・。
 なかなか会いに行けなくて、おじさん、ほんとにごめん。

(村松葡萄園、岡山スポーツフォーラム代表)


達也さんが,大会参加などで外国に行ってしまって不在の時,
よく,おしゃべりさせていただきに行きました。

送られてきたメールや写真を見せながら,おじさんと話すことで,
寂しさや不安が,少しずつ薄らいでいきました。

おじさんは,そんな気持ちを察して,
新聞記者時代のことから,いろいろと話してくださいましたね。
写真やメールにいただくコメントも,とても温かかったです。

おじさんの都合など考えずに,勝手にやってくる訪問者を,
おじさんはいつも優しく迎えてくださいました。

おじさんの柔らかい笑顔,宝物です。
                  (めいこ)

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posted by ultramomosan at 10:55| Comment(0) | 日記