2011年11月02日

紅葉の秋

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"AT-JOURNEYS" Sept/Oct が届いた。今月の特集は山小屋(シェルター)。毎日が晴れ!のシエラネバダと違って、日本によく似た気候のアパラチアでは、山小屋が整っている。シエラのシェルターといえば、"Muir Hut"と"Mt.Whitney Hut"しか思い浮かばない。シエラでは雷からの避難小屋の意味なので。
3年前に一緒に歩いたCarrenは、バージニアでトレッキングのアドバイザーをやってるといってた。彼女が言うには、AT(アパラチアントレイル)には、九十九折れの道は少なく、シャルターの整備もされてて、とても快適だ、と。
AT-JOURNEYSを読みながら、日本の避難小屋を作りは同じだなぁと思った。まだ加藤さんの「メインの森をめざして」は読んでいない。先日、熊本の永谷さんと電話で話した時、加藤さんが熊本で講演会をしてくださって、JMTやATの話を聞いたけれど、加藤さんALSで大変なようだ、とおっしゃってた。父のことも含めて、病気と人生についてほんとうに考えさせられる、考え込んでしまう。
できる時にやっておかないと、いつか時間ができたら…では遅すぎることがある。
posted by ultramomosan at 09:02| Comment(2) | 自然

2011年09月01日

鹿害、後遺症ほか

以前、鹿のアブにやられたことを書きました(ドンちゃん、コメントありがとうございました)。
その後ですが…後遺症はまだ残ってます。アレルギーなのかもしれません。
カリフォルニアでもかなり蚊に悩まされました。両足は刺されて腫れたところがつながって、どこが刺されてないかわからないくらい。
ですが、日本の鹿の虻ほどの痒みや腫れにはなりませんでした。なので、今残ってるいくつかの痕は半分くらいは日本製です・・・一月半になります。
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カリフォルニアの山でも鹿に出会う機会は多かったのですが、かの地にはコヨーテやマウンテンライオンといった天敵が多く、鹿影は濃くはないようです。それに糞はすぐ乾燥して埃になってしまいます。今残ってる痕は、蚊でなくて小さい蝿に咬まれた痕のような気がします。

別の後遺症というか、自分の年齢を感じたのはレース中だけではなくて、写真のような踵のひび割れに代表される体の乾燥に年齢を感じています…枯れてきた(^^;
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も一つの後遺症は味覚。ご飯とカロリーメイトだけ食べてると、飽きるとお思いでしょうが、さにあらず。8日くらい経つと、素朴な味が本当においしく感じるようになります。ビーフジャーキーも乾燥させてだけのものとか。
おまけに一日に一度とてもきれいな糞があっという間に出ます。

ところが、その後、町に降りて様々なものを口にするようになると、その直接的な味の攻撃に味覚が壊れてしまう気がしました。いまでも、メキシコ味、ハンバーガーの味、カレーやラーメンの味、といったジャンキーな流れに、流されて・・・今日の昼も「カレーヌードル」食べました。

こまった(^^;
posted by ultramomosan at 09:56| Comment(1) | 自然

2011年07月17日

もう一つの鹿害…その後

7月10日の日曜日の剣〜三嶺一周ランの際、アブにかなり襲われたと書いたが、火曜日以降、日に日に痒みはひどくなり、先日からたまらないほどになってきた。
掻いてはいけないと思っているので我慢しているが時々掻いてしまう。咬まれた部分だけ少し腫れて、その跡から黄色いリンパが出ている。薬は効かない。

咬まれた個所を数えた。左脚19か所、右足16か所、右ひじ周辺11か所、左ひじ周辺9か所、合計55か所。
この時期に、剣山系に行く人は虫刺され対策をお忘れなく。

ちなみに、私は酪農家に生まれたので、幼い時から時からアブ・ブヨ・蚊には極めて強いほう。こんなになったのは初めて。
posted by ultramomosan at 22:00| Comment(1) | 自然

2011年02月11日

トレイルランと自然環境

まず、山が「荒廃する」というのはどういうことなのでしょうか?
「荒廃していない山」とはどういう山なのでしょうか?
それはやはり手付かずの山が「荒廃していない山」で、「荒廃する」とは植林した山が手が入らなくなったために人工の極相林(下草もない針葉樹の純林)化してしまうことでしょう。しかし手付かずの森もいつかは極相林となり、「荒廃」し、裸地化し、再び遷移を繰り返すわけです。人間にとって都合の良い「荒廃していない山」というのはその遷移のなかの一時期なのだと思います。
しかし、人間が環境を大きく変えてしまったために、このような自然の遷移が起きなくなっているのは事実で、つきつめるとそれが砂漠化です。
それから、林道が荒廃することと、山が荒廃することは、まったく別物です。

ならどうすることが人間にとってよいのでしょう?
高度成長期までに木材用に植林した山が、異常降雨などのために崩壊してしまう危険性があり、極相林かすると生態系も大きく変化します。手を入れた植林山は、手の入らなくなった植林山よりも保水力は高く、土壌の流出が少ないとされています。もちろん植林するのを杉檜からナラ・クヌギ・ブナに変えれば保水力等は格段に上がり、二酸化炭素の吸収力も酸素供給量も格段によくなりますから、広葉樹の植林に切り替えるのが良いことなのだと思います。

では現状はどうなのでしょうか?
日本の山はすべて個人や企業あるいは公の所有になっています。ですので一律に管理方法を決めることは難しいでしょう。現実問題として経済優先・利益優先の社会構造では、採算のとれない林業経営は企業として難しいと思います。また人工の極相林に手を入れるにも、採算が合わないでしょう。国土交通省も無策ではありませんし、現実に森林保全の政策はなされています。ですが日本の林業従事者は5万人以下だといわれていますから、限界があります。難しいです。

登山人口は600万人ともいわれ、減少したといわれていましたが、09年のレジャー白書では1230万人だそうです。重複カウントや統計の取り方にもよるのでしょうが、トレイルランの人口に比べて格段の開きがあります。トレイルランナーが増加、と言っても登山者数の増減に比べれば極めて少ないといえると思います。また、どの大会でも似たような人が出ている状況ですし、大会の定員に達する大会はごく一部、人口は少ないと思います。またトレイルランは登山よりも厳しく苦しいものですから、今後も順調に増加するとも思えません。社会意識を変えるほどトレイルランが普及するかは、難しいと思います。

登山者もトレイルランナーも同人数なら、環境へのインパクトは変わらない、という意見があります。ですが、だからといって数千人の大会を開催する必然的な理由にはなりません。人数が多ければインパクトも大きく、回数が多ければやはりインパクトも大きいのは当然のことでしょう。
私もトレイルランは好きです。大会をやりたい気持ちもわかります。ですが、なぜ一部の大会のみ2000人以上で開催しなければならないのでしょう?大会でなくても、いや大会でないほうが自然のよさを実感できると思います。また参加費の面で同規模のトレイルランとトライスロン。開催費用は比較になりませんので、大きなトレイルレースではかなり収益が出ているでしょう。それが「正しく環境保全に使われているのか」という声も上がっています。個人のものでない自然を消費することで「収益」を上げるものであってはなりません。

もっと考えないといけないのは、山や自然は個人のものではないし、国や県のものでも、人間のものでもないということです。山の所有や国土領有などという概念は人間が考えたものです。もし外国人が山を守ろるために山を買うなら、それは正しいことだと思います。
自然は正しく扱われるべきなのです。「自然は保護するだけでなく、利用しなければいけない」というのは大きな間違いです。100年前のアメリカで主流となった、この功利主義の考え方が、今の環境問題を引き起こしていることを忘れてはいけません。
また、100年前すでにアメリカでは、この問題について「自然は利用すべきか、保護すべきか」という激しい議論が提起され、現在も続いています。が、日本ではこの保護と利用についての議論がクローズアップされることは、最近までありませんでした。
残されたものは守らなくてはいけない、保存が危ういなら立ち入ったりしてはいけないのです。一つの例をあげれば、私がこの夏に行こうとしているカリフォルニアの340kmの自然溢れる「ジョン・ミューア・トレイル」は、シーズン中は一日に数十人だけしか入山が許可されません。
ですが北米では毎年大量の、「所有者」のある木々が伐採されているのも事実です。そしてその行く先も考えなければいけません。

 いろいろ考えると何もできなくなってしまいますが、人は生きてゆかなくてはいけませんし、豊かな人生を送る権利があります。ですから、どの程度我慢するか、どの程度なら許されるのか、それを考えてゆかないといけないと思います。

まずは、私たちトレイルランナーは他の既存の愛好者利用者と共に話し合いをもつべきであり、影響のある人々に対して説明をする必要があると思います。

私も山を持っています。祖父が杉と檜の植林をして残してくれました。ですが数年前の風台風で手がつけられる状態ではありません。間伐すれば赤字です。難しいものです。

まだ、まだ、まとめは進んでいませんが、とりあえずいただいたコメントに対する私の意見です。
(青加筆6:50)

posted by ultramomosan at 01:38| Comment(2) | 自然

2010年10月01日

こめし

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籾摺りと撰米の作業を私の地方では「こめし」と呼ぶ。
子供の頃、足踏み脱穀機は現役だったし、家にはまだ千歯こき、もあった。唐箕で選別し、石臼で籾を摺り、箕で撰米(笑)していた・・・記憶がある。
それから、大型籾摺り撰米マシンを株内で共同購入して、何軒もあつまってみんなで籾摺り撰米をやる、そのイベントを「こめし」と呼んでた。今は、一家に一台籾摺り機・撰米機があるので、家単位でやる。
今年の収量は201袋(100俵)、一俵約11,000円なので、収入は100万円にも満たない。しかし田植え機やコンバイン等など、その他の経費は一俵あたり16,000円になるらしい。
ほぼ半年、田植え、草取り、水当て、刈り取り、脱穀、乾燥、籾摺り、という労働は賃金などでないし、働けば働くだけ赤字が出るなんて、間違っている。
今日、玄米にした100俵は30kg×200袋。200袋を詰め積み上げた。それだけで私の手は痛くて、今でも真っ赤だ。

米の値段の10kg3,000円が高いのだろうか?
一人が1日3合(=450g)食べたとして22日分・・・3,000円。
消費者はもっと安い米が欲しいのだろうか?
posted by ultramomosan at 21:35| Comment(0) | 自然