2012年07月27日

無農薬、反原発運動へのジレンマ

無農薬、反原発運動へのジレンマというか疎外感というか。

無農薬で米ができればいい。ほんとうにそう思う。少々の障害ならなんとかできると思っていた。実際に自分が試みようと考えてみると、あまりに大きな障害に言葉を失った。

水はつながっている。放射能の問題でもわかっていたことだけれど、農薬でも同じ。全ての田圃は、水を取り込み吐き出して稲を育てる。川や用水を通じて、全ての田圃はつながっている。上流で農薬を使用する人がいれば、下流のすべての田圃は残留農薬に『汚染』される。一人ではどうしようもない。利水権は何百年もの水争いから成立した権利で、流域のすべての同意がなければ、途中での取水やせき止めはできない。

このことは、TPP問題でもきっと足かせになるだろう。企業が参入しても(企業の参入が前提だろうけど)、この問題をクリアしないと、おおきな障害になるだろうなぁ。それともまた、力ずくでやるのかな。

反原発デモ・・・参加したいし、その気になれば岡山でも起こせるかもしれない。20年前ならきっとやってただろう。
人生の残り時間が少なくなり、「今、自分は何をやらなければならないのか」と考えると、その仕事は私でなくても誰かができるだろうと思う。今までは、そうではなかったけれど・・・。

全ては、残り時間が判断の基準となりだした。
これはジレンマでも疎外感でもないのかもしれない。ただの自分の都合なのかもしれないけど。
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2011年03月26日

東北関東大震災への義援金を募る

東北関東大震災の被災者の皆さんに役立てていただくよう義援金を募る「チャリティーラン&ウォーク」を開催することになった。
呼びかけは県内在住のランナーからだが、mixiをはじめ、口コミやメールで、徐々に輪が広がり始めている。4月3日の岡山市旭川の河川敷での開催。岡山市では4月1日から後楽園のさくらカーニバルが予定されているが、開催は流動的らしい。さくらカーニバル会場のすぐそばでのチャリティラン&ウォーク開催なので、大きくなることを期待している。(呼びかけ以下内容)

      *   *
岡山県にお住まいの皆さん

3月11日に東北・関東地方を襲った千年に一度といわれる大震災。
地震と津波や原発火災で被災され、苦しい生活を強いられている多くの人のために私達も義援金を送ることで力になりませんか?

” Life must go on ”

先日岡山で講演会をされたノーベル化学賞学者・根岸英一先生のことばです。
私達は助け合って生きてゆかなくてはいけないと思います。

さあ、いっしょに、被災した友人達を支えましょう!

賛同してくださる皆さんのご参加と、賛同してくださる企業のサポートを求めます。
ご友人を誘ってご参加ください。よろしくお願いします。

日時 平成23年4月3日(日) 午前10時〜
場所 岡山市北区 新鶴見橋下
内容 ●5kmファンラン&ウォーク&散歩 / ●10kmラン
寄付 ●500円=5km / ●1,000円=10km 
全額、日本赤十字社に寄付します。

<呼びかけ人>岡山県内在住のランナー及びランニングクラブ有志

下記に呼びかけPDFがあります。よろしかったら印刷して配布/呼びかけにご使用ください。
0311ReliefCharityRun.ai.jpg
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2011年02月01日

文化と経済

文化と経済について示唆のあるものを読んだ。

堺屋太一「【対話】芸術のある国とくらし」を読んで感じたことを少し。
氏は経済評論家であり、70年の大阪万博、沖縄海洋博のプロデューサーであり、92年セビリア万博日本館のプロデューサーでもあった。
この対談集の中での金沢21世紀美術館の蓑館長との対話で、堺屋氏がこう語られている。
「オリンピックは二度とできない演技をするからこそ値打ちがある。何度でも繰り返しできる演技だったらそれはサーカスなんです」
 う〜ん、これは同意できない。まず「値打ち」という言葉に違和感を感じる。芸術やスポーツに「値打ち」を求めるのは経済評論家だからか。芸術を愛するものスポーツを愛するものなら、言葉を大切にする人なら「尊い」という言葉を選ぶだろう。
 それに「二度とできない」というのは違う。体操やスケートなど同じ演技は練習でやれるからできるのだ。オリンピックは文化や宗教や政治の壁を越えて、競技者が一同に集まり全力を尽くすから「貴重」で素晴らしいのである。また「サーカスだ」(値打ちがない)というのは、サーカスを蔑視しているから出る言葉なのだろう。
 また同様に、「明治以来、日本では美術館や音楽堂は街の中でなく、離れた緑の中に安置すべきものと考えられた」「無知蒙昧な日本人に見せてやるためには猥雑な商店街ではなく、それに相応しい森の奥に安置すべきだ(中略)というエリート意識」「美術館や音楽ホールは街の真中に作られるべきだ」
と話されている。
 これもに異論ありだ。大阪でも東京でも私にはそうは思えない。だから、(商店街と美術館音楽ホールが客を求めて対立している)旨を話しておられるが、それにも同意しかねる。そんなことはないでしょう…私はそう思う。

 またベネッセHDの福武総一郎氏との対談で、直島という場所を選んだことに対して堺屋氏は、
「ことのついでに見る百貨店催事や都会の美術展とは違って、直島に行ったことは十年は忘れない」「直島は知価ブランドの典型」
と話されている。前者との矛盾を感じてしまう。

 こういう対談は往々にして対談相手の言葉に迎合してしまいがちだが、こういう人には不信感を覚えるなぁ。何かにつけ、「値打ち、価」という言葉を使う堺屋氏。やはり経済が中心だという価値観(考え方の傾向)があるのだろう。肩書きや経歴で相手を評価する人たちは彼の言葉をありがたく拝聴するのだろうけど、私には違和感のほうが強く残った。

福武氏の言葉「経済はあくまで手段であって我々の本来の目的は文化」、「(富を創造できる)企業こそが文化を蓄積し発展に貢献しなければならない」
とは随分違うなぁ。芸術は、スポーツは、感動だろう。感動が人生を豊かにし、豊かな人生が社会を活性化させ、新しいものを創造する。それが文化というものだ。

 おりしも企業メセナの優等生だった林原が事実上の倒産ニュースが紙面を賑わしている。同族経営の旧態然とした会社の経営と一部の見得が招いた結末だったのかもしれない。同じような状況を見てきた私には、社員とその家族のことが気になる。企業の本質を誤解した経営だろう。

 日々感じている社会全体の行き詰まり感。それは経済活動偏重、利益の追求と競争、という考え方が蔓延しているからなのではないだろうか。
時間や余裕や家族を犠牲にしてまで、お金を儲けなくてもいいではないか。そこそこで十分だと思うのは私だけかなぁ。老後のために青年期壮年期に耐え忍ぶ…そういう考え方もあるのだろうけど。
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2010年09月08日

池上さんの学べるニュース

今日のテーマの一つは「日本の農業が変わる」というものだったので、見た。
まず驚いたのが、「農家の経費を差し引いた後の平均所得が約400万円でこの20年で3/4に減っている」というもの。
え〜!そんなに多いわけないだろう!・・・と思ったがよく調べてみると、兼業農家も含めての平均ということらしい。専業農家なんて1%もいないと思うけど、兼業農家は会社や公務員を兼ねている場合が多いものなぁ。農業専従者の平均年齢は、ほぼ65歳なので年金をもらっている人が多い。
ということは、給与所得と年金と農業収入を合わせて約400万円ということなのだ。

戸別所得保障制度の説明で、例に挙げた農家が作付け8反休耕6反の農家・・・1町5反?大百姓じゃないか!そんな農家がいったいどのくらいあるんだろう(私のところはほぼ1町、村でも大きい)。
その農家での、8反の作付けで米の売り上げが90万円、収穫のための費用が92万円。休耕田に飼料米を作ると保証があるので、144万円の収穫となり、13万円の利益が上がるという、説明があった。
聞いてたタレントは、そういうことかと納得、説明した池上さんも、そういうことなんです。

・・・って、おかしくない?農家の1%以下(しかいない、たぶん)の大百姓が一年頑張って作って、150万円。農機具や肥料・農薬・燃料・機材を差し引くと13万円の利益。もちろんタダ働きです、人件費なんて出ません。
結局、年金と貯金で食べているわけです。やりがいがあるから、それでも我慢はできるのだ、と父は言ってるけど。

農業での成長戦略、それは農地の集約と農業の企業化ということだろう。でも、この国では非効率だし、企業は収益が上がらなければ平気で撤退したり、転業したり・・・農業生産がはたして安定して続くのだろうか。
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2010年08月08日

Peace-Run '91 - '96

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なぜ、Peace Run を始めたのか?
90年代には、そうよく聞かれた。理由は趣意書に書いてある通り。
ランナーが草の根的に一人で、何人かで、やることも市民運動として大切だと思う。けれど、その当時は様々なものを見てきた、そういう機会にめぐり合えた者としての、使命感だった。
ずいぶん、無理をした。若い頃だからできたのだと思う。開催するためには経済的な問題、時間的な問題、理解者支援者の確保の問題、様々な障害があった。その障害をクリアするための活動には、同じ問題があった。仕事を長期に休む、スポンサーを探す、ボランティアを探す、警察を回る、海外のランナーのために準備をする。それらのどの一つをとっても大変な時間と労力と金銭的な負担が伴う。
制度や政治的にも障害はあった。たとえばアフリカや中国から参加したいというランナーがいれば、ビザの発給には身元保証人になり帰国までの人的経済的な保証が必要だった。幸いだれも亡命やら逃亡やらしなかったけれど。
そのころ、まだ、ネットの普及率も今ほどでなく、通信環境も今ほど充実していなくて携帯電話など弁当箱のような大きさで、借用の費用も半端ではなかった。ランナー10人前後にボランティア各3・4人とレンタカー。それらの宿泊食事の手配。この時期の広島と長崎でのホテルや会場を押さえるのはたいへんだった。途中の事故も不安だった。毎年、胃潰瘍の繰り返し・・・。
思い出すのはたいへんなシーンばかり、よく事故が起こらなかった。

経済的にも、いくつかのスポンサーもついたことがあったが、夫婦ふたりの収入のほとんどをつぎ込んでそれでも足りなかった。
「そんなしっかりした大会でなくても、自由なかたちで・・・」という声もあった。でも、それなら私がやらなくてもいいだろうと思っていた。呼びかけ人と同意する人でマラニック形式でやれば財政的にも警察の問題もずいぶん楽だろう。
それは大会ということの価値観の問題だ。責任をもって海外のランナーを受け入れ、事故がないようにコントロールし、しっかりした運営をし、広島と長崎の市長に報告をすること、それが使命だと考えていた。シンポジウムの開催なども、いま考えればとてもよく頑張って運営していたと思う。だから、クロアチア大使もやってきてくれたんだと思う。

そのPeace Runは、私たちに様々なものを残してくれた。なかでも、ボランティアの学生達の成長と、一般市民としての社会貢献をしたという誇り、財政的な負担、この三つが一番大きかった。
でも、今、世界のいろいろな大会に参加しているランナーが、「世界各地で”Peace
Run”のことを尋ねられる」という話をしてくれた。

私たちのやったことは、無駄ではなかったと思う。
できるなら、また開催したいものだけれど・・・

明日は長崎原爆忌。
「広島と長崎、どこか違うと思わないか?」と尋ねたら、何人かの外国人ランナーが答えた。
「長崎の町は優しい、いとおしく感じる」と。
私もそう感じていた。
長崎の皆さん、その節はほんとうにありがとうございました。
沿道でお世話になった皆様、ごぶさたをおゆるしください。
posted by ultramomosan at 08:40| Comment(0) | 社会