2013年04月30日

大会は素晴らしい

さくら道、UTMF、萩往還・・・ウルトラの大会が続くこの季節。
全力を尽くす大会は素晴らしい、感動も、達成感もほんとうにウルトラ級だ。
が、それらの良さとはべつに、考えないといけないことも多い。

広島〜長崎Inter National Peace-Run, 90年〜96、一年の休みを置いて5回主催運営した。今、思うとよくあんな大会を運営していたものだ。
開催費用は200万円くらいだったろう、参加者からのエントリーフィーはほとんどなく、何度かスポンサーに恵まれた年もあった。この間、様々な国からウルトラランナーがやってきた。あのクウロスも、招聘を打診してきた。
一人のランナーを車一台サポートクルー4・5名でガイドし、真夏の国道を毎日100マイル走る。
熱中症、交通事故、サポートカーの事故、考えただけでも、ほんとうに大したことがなくてよかった。今、そう思う。危ういことは何度もあった。
トンネル内の転倒事故、熱中症、軽い交通事故・・・ほんとに大事にならなくてよかった。

その轍があったから、その後の大会の安全を一番に考えるようになった。
でも、ランナーとしての気持ちもわかるので、いつも責任との間で葛藤は起こる。

今回の「さくら道国際ネイチャーラン」、UTMFともに大事なくてよかった。
ただ、さくら道の方は危なかった。気象の異変は分かっていた。異変がなくてもあの国道は危険がいっぱいだ。深夜の国道は交通量も多く、疲れ果てたランナーは足取りも危うい。そこにきてあの天候異変。ランナーにもドライバーにも、大事故の危険性はとても高かった。

スポーツの大会で事故は起こってはならない。事故が起これば、競技者の生活は狂う。故障が長引けば、大きければ、人生さえ大きく狂う。ましてや万一のことがあれば、家族の人生すら狂うのである。
できる限りの危険回避。これが大会を運営するものの責任である。

今回の私らのマラニック・・・6人のランナーを無理やり収容した。あのまま、ほっておくと体調を崩すと思われたから。楽しかるべきマラニックで、そんなことがあってはならないから。アドベンチャーコースも、本人が望むなら・・・ということで認めている。

今回の「さくら道」、運営責任者には猛省をしてもらいたい。夜間サスペンド、中止などの措置があってしかるべきだったと、私は思う。

トレイルランにも同じことは言える。日本を代表するランナーであっても、そのあたりの危機管理がどうも・・・と感じる。

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2013年03月17日

六甲トレイルランを外から見て

 関西地方で開催されているいくつかのトレイルランのレース、運営は京都にある営利企業のようだ。定員500〜700名参加費6,500〜7,000円。売り上げは相当な額だろう。ロードの大会に比べ、開催コストは人的なものも含め、驚くほど安い。交通規制も関係ないわけだし、コースの維持管理も地元におまかせ。それに大会となる以前に、多くのランナーが走っているわけなので、危険個所や時間設定など事前調査などの問題点もあまりない。もともと日本では底の浅い競技だし、ルールや他のスポーツと競合問題もなし崩しというかレース自体が既存化してしまっている。

 昨日、ハイカーとしてレースを初めて見てみた。やはり急に駆け下りてくるランナーには驚く、中には声をかけて「すみませーん」というランナーもいるが、多くは無言だ。疲れているのはわかるが、無言で突然現れるのには、私でもビクビクしながら歩いた。
 最も驚いたのは、ストックのキャップを外したまま前に向けて両手で持って駆け下りてくる、トップクラスのランナーがいたことだ。常識がないにも甚だしい。参加者が多く、他のハイカーも多いこの地区なら、ストック禁止をルール化するは当然である。主催者にスポーツの危険性や危機管理に対する意識常識が欠けている。

 最近はレースの上級者による講習会もよく開催はされているようだが、一番守らなければいけないルールを徹底しているんだろうか?
・ゴミを捨てない。
・ルートをはずれない。
・木の根や苔はできるだけ踏まない。
・ストックのキャップは付ける。
・ハイカーに脅威を感じさせない。
 これらの配慮を、講習会で説いている講師がどれだけいるのだろう。昨日も見かけたが、階段を外れ走りやすい階段脇の斜面を走ったり、スイッチバックをショートカットしたり、古いトレイルの隣を走って新しいトレイルを作ったり…。
 レースになると、多くのランナーはモラルを忘れ、先を争う。それが悲しい。第一回のオリエンテーリング協会主催のトレイルランニング・シンポでもでた意見だが、専用のレースコースを造ればいいという。タイムを競い、先を争って風景も何も見る余裕がないなら、それもありだろう。

 私はもう四半世紀トレイルランを楽しんでいる。若い頃からアメリカの100マイルレースによく出てきた。92年には日本人としてはじめて、WesternStates100milerでシルバーバックルを獲得した。年に1〜2回の大会参加のために、一人で四国の山を走り回ってきた。アメリカのレースでストックを使用する人は、ほとんどいない。そのインパクトや危険性を考えれば、結論は出てくるはずだ。使用すればタイムが上がるから、などどいうのはドーピングとなんら変わりない。自分自身の心体との対話がスポーツのもっとも優れた部分で、ドーピングとは「自分を欺くな」ということだ。倫理観と哲学を持とう。登山を愛好していたころに、基本的なルールを学び倫理観を育んできた。どうも今の大会主催者には、そのあたりが欠けている気がしてならない。
 これだけ多くのランナーが参加する大会が増えては、やはり社会的な影響もそろそろ考えておく必要がある。営利目的でコミュニテイの財産を消耗させるなら、それなりの対価的活動を考える必要があるはずだ。

 もう一度、営利目的でレースを開催する企業や、大会関係者は他のスポーツとの共存をキーワードに、ルールや主催方針を考えてもらいたい。
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2012年11月22日

スポーツの倫理

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卓球の水谷選手がナンバー815号に書いている。
スポーツにおける倫理観は、そのスポーツの歴史を認識ししっかりとした理想像を持つことから始まる。スポーツが理想を失えば、夢を失うことと同じだ。勝敗や順位のみを追い求めると、欺瞞や欲望や熱狂のみがのこされる。

スポーツの本来の目的は、健康と自己実現(自己存在の確認)であろう。
健康、楽しみ、達成感、喜び。ある目的のためにどれかを犠牲にしても、「どこか違う」と思うはずだ。その「あれ?なんかおかしい」と感じること、それが大切なはずだ。

スポーツが、夢や理想を失ってどうする。
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2012年03月26日

スポーツとは…ランニングの話題2件

今日、ランニングの話題で対照的だな、と感じることが2件あった。一つはコメディアンの猫ひろしさん、もう一つは岡山のある中学生のこと。

猫ひろしさんは、テレビや新聞でも話題になっていて、彼がカンボジア代表としてオリンピック代表に決定されたことについて賛否両論がある。私は彼のことは、マラソンの成績以外はあまりよく知らないし、彼の応援をしているわけではない。陸連の瀬古さんはじめ関係者は是とする意見が多いようで、メディアを中心に彼を後押しする今までの流れを作ってきた経緯があるからなのか、否定的な意見をあまり聞かない。陸連とメディアは持ちつ持たれつの関係だろうから、しかたないことなのかもしれない。
しかし、こと他の国のオリンピック代表に決定となると、さまざまな疑問や弊害があるのではないだろうか。確かに、彼が走り始めて3年でこの記録を成し遂げたのは驚きだし、彼の努力もさぞやと、感心はする。しかし今度のやり方はスポーツを愛するものとして、褒められた方法ではない。金で代表を買った(国籍取得のため)、という批判もでるだろう。カンボジア代表選考会を他の有力3選手がボイコットするというのも、異常なことである。確かにカンボジアから見れば、一連の彼の動きや日本のメディアの扱いからすると、観光や外貨獲得という目先の利益をもたらせてくれることでもあり、かの国ではマラソンはマイナーなスポーツだから、インパクトはあるだろう。でも、それがスポーツを通して国民に勇気や感動をもたらせてくれるのだろうか?。「恵まれない環境の中でも努力し代表となり、そのことでカンボジアの実情を変えたい」という26歳の若者・ヘム・ブンティン君のことを思うと、猫ひろし君とそれを取り巻く関係者のやっていることは、人間として自己本位で卑怯なやり方ではないだろうか。走る努力を続けることの苦しさや、報われない悔しさ、代表というものにたいする思い、プロとして走っている多くの選手たちはそのことの意味を骨身にしみて知っている。
安易な道があるわけではないから、私たちは、ランニングを愛するものは、彼らの努力を尊敬するのである。立ち遅れた環境の中で努力している人たちの不利さを、自己の目的のために利用していいものか・・・
私は、そう思う。
関連の新聞記事
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/11/12/kiji/K20111112002012020.html
http://mainichi.jp/enta/sports/08olympic/archive/news/2008/08/20080825ddm035050086000c.html

もう一つは、岡山市内のある中学生の論文だ。一昨年の高梁市吹屋〜宇治でのマラニックに参加してくれたのだが、彼女は小さいころから陸上競技をやっていた。が、成績のみを追い求める毎日に疑問を感じ、中学生になって陸上競技から遠ざかっていたそうだ。おととし、マラニックに参加し、競わないランニングというものに触れ、「楽しく走る」ということについて、中学で卒業の論文にまとめたのである。
ざっと読ませてもらって、課題へのアプローチのしかたや調査の方法、考察の実験など、論文としてもすばらしい!と唸ってしまった。もちろん現実に大学生の卒論とは比較すべきではないが、その手法と成果をみると大学生も自信をなくすだろう。
「楽しく走る・・・」とは、楽しく走れなくなった彼女だから思いついた疑問だろうし、陸上競技というスタンスがあればこその視点ではあるけれど、投げかけている課題は大きい。

これらの二つのことは、結果とは何か過程とは何か、スポーツをどう考えるか、スポーツの倫理という意味において、とても重要な示唆を含んでいる。続きを読む
posted by ultramomosan at 13:59| Comment(0) | スポーツ全般

2011年10月27日

時の厚み…マラソンブーム(1)

 このところのマラソンブーム、ものすごい熱気で、少し加熱気味。東京マラソンが火をつけたかっこうで、大都市はこぞって市街地を走り抜けるマラソン大会に取り組み、中核都市も開催を企画しているところが多い。東京に続く市街地マラソンには、都市をアピールできる、ブームだから、観光の起爆剤、というのが多くの理由のように見える。東京はじめ、すでに何回も開催してきた町では、日常の街角でランナーを見かけることに違和感がなくなり、街の風景として市民権を得ているように見える。公衆衛生の面から、とても素晴らしいことだと思う。
 このマラソンブーム、第二次ジョギングブームという人もいれば、第一次マラソンブームという人もいる。1970年代アメリカに始まったフィットネス・ジョギングブームの流れは、日本に第一次ジョギングブームを起こしたと言われている。東京オリンピック以降のマラソンは見るスポーツだったけれど、アメリカ西海岸に始まったカウンターカルチャーの波は自己実現・自然回帰という流れで、自然にジョギングブームという大きなうねりとなって、日本に押し寄せたのだろう。その象徴だったのがフランク・ショーターとニューバランス、スティーブ・プリフォンティンとナイキだろう。この「自己実現・自然回帰」という大きな流れは、ジョギングブーム以降も底流となり、トライアスロンを生み、ウルトラマラソンやトレイルランを育んできた。日本の市民マラソン大会の多くもこの頃に産声を上げ、ランナーズという雑誌も誕生した。国内の各地で小さな大会が開催されるようになった。

 今日のマラソンブームはまさに42.195kmの「マラソン」ブーム。先のジョギングブームとは少々違って見える。70年代は距離を追うのでなく、服装やスタイルを追うのでなく、健康のために…というか、少なくとも大会に出ることが目的ではなかったように思う。また、この頃は「マラソン」の制限時間が厳しく、42kmという距離にとても大きなハードルがって、大会数もごく限られていたために、参加を目指す人は少なかった。
 今のマラソンブームはこの大きなハードルがずいぶん低くなっている。制限時間が長くなり、そのため距離に対する精神的な壁も低くなって、またメディアの報道によって「自分にもできる」という感覚が持てるようになった。また、ウェアとメディアの相乗効果で楽しみという面でも取りつきやすく、スタイル服装から入り、ファッションとしてのマラソン参加という要素も大きくなっているように見える。まさに「ブーム」といった感がある。そのため、明らかに練習不足であったり、無謀であったり、という例ををよく見る。しかし、ランニング自体の楽しさに目覚める人も多く、ブ−ム人口の何割かが、自分のライフスタイルとして定着して行けば、公衆衛生として素晴らしい効果があると思う。
ひいては、公的医療費の削減にもつながり、精神的文化的効用はきわめて大きいものになると思う。

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posted by ultramomosan at 10:56| Comment(0) | スポーツ全般